こんにちは、ヒトモノラボの石渡知里です。
今日は「片付けられない女脱出プロジェクト187日目」に呟いた、
「何を持つか?は自分がどんな暮らしをしたいか?と密接に関わっていると思うのです。」
これの補足を書きたいと思います。
何も持たないということ
極論かもしれないけれど持たないということは、不便さと仲良くするということだと思うのです。
ちょっと前に話題になったミニマリストは、便利な時代に逆行しているように感じた方も多いのではないでしょうか?彼らから言わせれば、不便なこともあるけれど、便利なこともあるよ?という感じなんだと思うのです。
服の枚数が少なすぎて、長雨が続いた週は服が乾かないんじゃないかとそわそわしたかもしれない。
その一方で、毎朝服の組み合わせを考える煩わしさから解放されたかもしれない。
モノに囲まれるということ
では真逆の部屋をイメージしてみよう。極端にモノが多かったらどうだろう。自分の暇を潰してくれるアイテムが沢山あって、暇を感じることはほとんどないかもしれない。
この部屋だって、不便なこともあるけど、便利なこともあるよ?と住人は言うかもしれない。
モノが多すぎて必要なモノが探せない時があってそわそわする日があったかもしれない。
その一方で、色々なモノが揃っているから「やりたい」と思えば道具を揃えることなくすぐに取り掛かることが出来たかもしれない。
自分が何を大切だと思うか
ただそれだけだと思う。
私は毎日異なる服を着て学校や職場に行くことが大切だと思っていた時があった。
毎日いかに時間をかけずに好印象な服の組み合わせで職場に行くことが大切だと思っていた時もある。
大切だと思うポイントが変われば、整理の基準だってかわるし、収納の仕方だって変わる。整理収納ってそれくらい流動的なものだと私は感じている。