こんにちは。
人とモノの関係をよりよくする・ヒトモノラボの石渡知里です。
実はnoteでお片付け交換日記を始めました。
片付けのプロえび子(私)と片付けに悩むサンチェスさん、どいさん、カーチャさんの4人で片付けへの思いや、片付けで気になる事を書いていくという企画です。
現在2人分公開されています。
マガジン/お片付け、交換日記(仮)
1|お片付け交換日記始めます/サンチェス
2|えび子の思惑、片付けの向こう側/えび子|いしわたちさと
片付けの向こう側とは
さて、noteのタイトルにも書いた片付けの向こう側。
整理収納アドバイザーが片付けをするとき必ず意識する部分だと思います。別名、片付けの目的です。
でもこの目的、考えたり、決めたりするのが苦手な方も多いのではないでしょうか?
というか、目的って言葉が難しさを増している…というか思考を停止させている気がするんですよ。
私が目的アレルギーになったのは、間違いなく1社目の会社。“目的”とか“目標設定”という単語を使いながら研修したり、業務遂行したりしていました。
至って普通の会社ですよね。だけど目的とか目標とか手段とか…さっぱり分からないまま20代を過ごしました。
では片付けにおける目的とはどんなものでしょうか?
noteで引用したTwitterには“片付いた部屋で何したい?片付いた暮らしで何を楽しみたい?”という表現をしています。
私は片付けの目的には正解、不正解がないと思っています。
片付けの目的があることで自分が頑張れたり、自分が幸せになれたり、周りの人が幸せになれたりすれば良いんだろうなと感じています。
目的は変化してもいいのかも
目的とか目標という言葉を使うと、すごく重くてしっかりした何かに感じます。
だから目的を設定したら変更しちゃいけないのかなと感じ、より言語化しにくい、言語化したくない気持ちになるんですよ。あ、私の場合ですけどね。
仕事の目的に関してはどうなのか知りませんが、片付けの目的は変化してもいいと思うんですよ。
先程、「目的があることで自分が頑張れたり、自分が幸せになれたり、周りの人が幸せになれたりすれば良い」と書きました。
自分が幸せに感じることが、周りの人を幸せにするとは限らないんですよ。自分は幸せだけど家族が幸せじゃないなら、目的を変更することもあると思うんですよね。
想像だけで完璧な目的を作るって難しくて経験して初めて、アリなんだと分かることもあるし、ナシなんだと分かることもある。
だから、今のところ片付けの目的はコレね!というくらいライトな設定でいいと思うんです。
片付けの向こう側が見えなくても意識をすること
私は片付けが苦手だった頃、あの有名なこんまり(近藤麻理恵)さんの「人生がときめく片付けの魔法」という本を読みました。
感想?さっぱり分からなかったです。
だって私はときめくものしか持っていないんですもの!
でも整理収納アドバイザーの資格を取って、自分の持ち物や部屋と向き合ううちにだんだん“ときめく”の意味が分かるようになってきました。
3年前にときめいた物は今もときめくとは限らないんですね…。ときめきは一生ものだと思っていたのが間違いだったようです。
何が言いたいかというと、最初は分からなくても意識していると分かるようになることもあるかなと感じています。
自分が片付けをする目的も最初はパッと浮かばなくても大丈夫なんです。
でも意識はしておいてください。
黙々と片付けだけをやっていると「私、何のために頑張っているんだっけ?」となり、今より片付けが嫌いになってしまうことがあります。
片付けをしながら頭の片隅で「片付いた部屋で何したい?片付いた暮らしで何を楽しみたい?」と問いかけてください。
日々の暮らしの中や片付けの回数を重ねていく中で、自分にとって価値のある時間の使い方、空間の使い方、物との付き合い方にあるとき「ハッ」っと気付くはずです。