最近、ものづくりの現場を見たり商品企画のまねごとをしてみたりしている中で「ふっと」感じたのは、便利で効率が良いモノが本当に自分たちの為になっているのだろうか?という疑問でした。
考える余白
考えるとはどういう事なんだろうか?
私は考えるという事がとても苦手だった。そもそも何か「なんでだろ?」と疑問に思ったり、「あれっ?モヤモヤする」という引っかかりを感じたりしていなかったので、考えるという階段に登っていなかったらしい。
そう、自分の何かに引っかからないと、考えるというところに行かないみたいなのです。
それは整理収納でもとても大事な感覚だと思っていて、家の環境や職場の環境のなかで何か「引っかかり」を感じ、観察してみて、考えてみるんだと思うのです。
この「引っかかり」はムリ・ムダ・ムラの芽を見つけた瞬間だったりするのかなと。
ところが「引っかかり」を見つける能力は鍛えないと、全然引っかからない(笑)自分の中に感じる違和感に耳を傾けたり、目の前に転がった違和感を拾ってみたり、「これなんだ?」と自分の手に取ってみることをしないと考える能力までたどり着かない感じがします。
便利は悪くない。けど…
便利になること、効率が良くなること、それはとても良いことだと思うのです。
しかし一方で、自分が考える余地を奪っていないだろうか?と疑問に思うことがあるのです。
まぁ、疑問に思っているだけで、断定できるほどではないのだけどね。
片付け講座をやっていると「教えてほしい人」が多くてどうしようと思うことがあるのです。私の講座では「答え」をバシッと言うことが少ないから「教えてほしい人」にとっては、モヤモヤした状態で帰っているんだろうなと思っています。
本当は、講座で聞いたことをベースにして、自分の家ではどうしようか?と考えてほしいからこんな講座になっているんだけど、そんなことはお客様は望んでいなくて答えがほしい訳です。
ここのギャップをどう埋めていくかが今後の自分の課題なのかなと感じています。