こんにちは、ヒトモノラボの石渡知里です。
私はモノの片付けにはそんなに興味がありません。実は長い間、私はなぜ整理収納に魅力を感じるのか分からないでいました。
最近わかってきたことは、私はモノを片付けることよりも整理収納の理論に興味があるということです。
有限の枠の中に厳選された何かを入れる行為
整理収納が何かと問われたら、私は「有限の枠の中に厳選された何かを入れる行為」であると答えます。私が整理収納の理論を抽象的に捉えるとこんな表現になりました。文字で表現するとわかりにくい…。
あるとき、私の身の回りは有限なもの達で構成されていることに気付きました。
- 家という空間は有限
- 会社という空間は有限
- 時間は有限(1日は24時間)
- 家計の予算は有限
- 会社の予算も有限
あれ?世の中、有限ばかり。無限の自由とかを求めていた20代後半(当時)の私は何だか悲しくなってきました。
いやいや悲しんでいる場合ではない。この有限地獄をひっくり返せるか考えてみよう。
ドラえもんを召喚しないと有限を無限にするのは無理
今は有限でも将来的に無限に広がる自由が手に入るのならば、楽しくなってくるのではないか…?
先程、有限だと思ったものはどうしたら無限になるか考えてみた。
- 家という空間は四次元空間ではない(ドラえもんのポケットはまだ開発されない)
- 会社という空間は四次元空間ではない(ドラえもんを召喚するしかないのか…)
- 時間は無限ではない(相対性理論が正しかったと証明された気がしたけど1日の時間はまだ変わらない)
- 家庭ののお金は無限に増えない(お金が無限に沸く家があったらいいな)
- 会社のお金は無限に増えない(お金が無限に沸く会社があったら羨ましい)
科学技術の進歩次第ではあるが、有限のものが無限になるにはまだ時間がかかりそうだ。また、技術が開発されたとしても発売初期は高価なため一般市民が利用するには程遠い話になるのではないかと考えました。
そうなると有限の枠の中に厳選された何かを収納する整理収納の理論は、様々な場面で活用できます。家庭も会社も関係なく自分の人生の中で何度も使う機会が訪れる技術なのです。
有限の枠があるからこそ、目的をもって厳選したものを入れることがとても大事になってきます。
枠があるから選択する楽しみがある
無限の自由が欲しかった。
大人のくせに、子供のようなわがまま。
「枠に入らない→モノを持てない→悲しい」という思考から、
「枠に入れるモノを厳選する→好きなものだけ→楽しい」という思考に変わってきました。
実際の自分が所有しているモノは好きなものだけを持つわけにもいかず、友達付き合いで所有するモノや、何かを円滑に進めるために所有するモノなど、自分がワクワクすること以外にもたくさんのモノを所有していました。
よく考えたら…
「選択する余地がない→悲しい」
「選択する権利がある→楽しい」
ということのようです。※私の場合。
限られた枠の中に入れるモノを選択できるということは、とても豊かなことなのではないかと思います。いつの間にか「量より質」を重視する思考にたどり着いていました。
整理収納の理論はじわじわと効いてくる
私自身、魅力に感じる学びと魅力に感じない学びがあります。
具体的な理論より、抽象的な理論の方が活用方法が沢山あるように感じとてもワクワクします。その場でアイデアが浮かばなくても、何だか色々なことに使えそうな気がするだけで楽しいのです。
たぶん、私のような人には整理収納の理論はとても面白いものだと感じるのではないでしょうか?
あなたがワクワクする学びはどんな内容のものですか?